新潟歩き旅Day4
↑価格破壊過ぎてビビる
4日目
7月30日。
高崎市の公園で起床。
可愛いパグを3匹連れたおじさんと会話をしてから公園を出発する。
この日は完全な猛暑日だった。
3日目の午後もそうであったが、なるべく日陰を歩かないと体力が持たない。
例えば高速沿いでは、午前中は高速の西側、午後は東側を歩くようにする。
そうすることで、なるべく日陰に入りながら進むことができるし、休憩時も日陰の場所を見つけやすい。
当たり前のことだが、意識しないとついフラフラと日向に出てしまい、無駄に体力を消耗してしまう(実際、何度もあった)。
とはいえ、日陰に入れたとしても、そもそもの外気温が高いために結局は疲弊するのであるが。
この日も道を歩いていたら、差し入れを頂いた。
私を追い越した新聞配達のバイクが、飲み物を買った後にUターンして戻ってきてくれたのである。
勿論、声をかけて頂くだけでも励みになるのだが、こうして飲み物を頂くと肉体的にも回復するので非常に嬉しい。
書きそびれてしまったが、実は3日目も車に乗った人から差し入れを頂いたことがもう2回あった。
嬉しい気持ちになる一方、皆なぜこんなにも優しくしてくれるのかと不思議に思ってしまう。
昼過ぎに休憩を終えて歩いていると、ロードバイクが私を追い越しながら4度見してきたので会釈をした。
すると50メートルほど先でロードバイクは停まり、こちらへ引き返してきた。
「こんにちは」
「こんにちは」
「新潟まで歩くんですか?」
「はい」
「ちょっと一緒に歩いてもいいですか?」
「いいですよ」
(不愛想な応答に聞こえるのは、元々のコミュ力の無さと、暑さでマトモな会話をする余力が無いためである)
こうして、徒歩行軍初のパートナー(?)ができた。
結構旅とかされているんですか、今日はどこまで漕いできたんですか、など互いに趣味の話をしながら1時間ほど歩いた。
すると、
「よかったらウチ寄っていきます?もう近くなので」
と言われたので、お邪魔することにした。
この時点で完全に、私は人からの申し出は断らないことに決めていた。
折角のご好意を無下にするのは勿体ないし、何よりついていったら面白そうだと思うようになったからである。
アパートにあげて頂き、最近買ったというかき氷機の紹介(実食つき)をしてもらった。
部屋には猫が3匹いて、多種多様なカルピスが揃えてある。
完全な癒し空間である。
猫を撫でながら、再びお互いの趣味の話をしていた。
あまりに居心地が良かったせいで、気が付くと夕方になっていた。
猫のおかげで十分に英気を養えたので、今度山でも行きましょうと連絡先を交換し、癒し空間を出発した。
体力は回復し外気温も下がってきたので、その後は順調なペースで進んだ。
この日はほとんど進んでいなかったので、夜までにもう少し進んでおきたい気持ちもあった。
だが、癒し空間を出て一時間ほどのところでおば様に声をかけられる。
「そんな大きいの背負ってどこ行くの!?」
「新潟の祖母の家までです」
「寝るのとかどうしてるの?」
「基本的に野宿してます」
「じゃあ今日はウチ泊まっていけば?」
私は快諾し、泊めてもらうことにした。
距離よりも面白さ優先である。
出会って数分の方の家に泊めてもらうという、こんな面白い機会は逃したくない。
それにしても、見知らぬ汚い男を家に上げることに抵抗はないのだろうか。
「お家って他に誰かいないんですか?」
「お父さんがいるよ」
「お父さんには聞かなくていいんですか?」
「大丈夫」
不思議である。
皆、無条件にこうして受け入れてくれる。
家に着くと、お父さんが出てきた。
「歩いて新潟まで行くらしいんだけど、今日ウチに泊めてあげてもいいでしょ?」
「いいよ」
本当に不思議である。
お父さんに関しては、出会って数分どころか数秒しか経っていないというのに…
家では旅の話の他、甲子園(前橋育英が近い)やお孫さんの話をした。
今年受験を控えているらしく、祖父母としても心配そうな様子であった。
私自身が受験生のときは自分のことだけで精いっぱいだったが、同時に家族もまた色々と不安なのだとようやく感じた。
この日は疲れも溜まってきていたので、22時頃には就寝した。
↓この日の成果
新潟歩き旅Day3
3日目
7月29日。
泊めて頂いたお家にて起床。
朝食を頂き、出発の準備をする。
「台風はもう大丈夫そうだね」
「そうですね、雨は降りそうですが、どうにかなりそうです」
「じゃあ気を付けて。これ、電話番号だから何かあったら電話しな」
そう言って、おじさんは私に電話番号を渡してくれた。
ちなみに、お兄さんとは前日にフェイスブックを交換した。
「本当にありがとうございました、無理しない程度に頑張ります」
時刻は午前8時。
今日もツェルトを被りながら出発した。
この日はほぼ関越道に沿って進む予定だった。
つまり分岐がないので道に迷わずガンガン進めるはずであった。
これまでのペースは遅すぎたので、挽回するチャンスである。
別に時間制限を設けているわけではないので、ペースが遅いとダメなわけではない。
しかし、二日間歩いただけで肉体もメンタルも疲弊していたし、無駄に長い時間歩きたくはなかった。
パッパと歩いて、面白そうなところがあればゆっくり止まる。
そしてパッパと新潟に着いてゆっくり休む。
これが理想的な工程である。
どう考えても、こんな重いザックを背負う日数は短いほうがいい。
ところがこの日の天気は最悪だった。
朝は雨が止んだり降ったりで、不快指数が上昇していく。
晴れ間が見えたのでツェルトを仕舞うと、また雨が降るのでツェルトを出さなければならない。
ただし、この出し入れ自体は若干の煩わしさがあるだけで特に問題はない。
問題なのはツェルトを被っている状態で日が出てくることで、これにより軽い蒸し風呂のような状態になる。
当然、蒸し風呂から脱出(文字通り)しようとするわけだが、そこで雨が降ってくると脱げなくなってしまい、無駄な体力の消耗を強いられる。
逆に、脱いだ状態で雨に打たれてしまうとこれはこれで支障が出る。
結局、午前中は変な天候が続き、パッパと歩けないまま午後になってしまった。
午後は完全な快晴だった。
しかし、これはこれでキツイ。
今年の日差しは凄まじく、不用意な外出は避けるよう勧告までなされていた。
そんな炎天下をザックを背負って歩かなければならない。
それに、肩や腰も痛い。
ついでに足のマメもでき始めた。
最悪の三拍子である。
勿論ペースは悪い。
少し歩いてはガードレールにザックを委託し、肩と腰を休める。
そうしないと進める気がしなかった。
半分くたばりながら歩いていると、遠くから女性が声をかけてくれた。
お母さんと娘さんである。
娘さんは恐らく私と2,3個しか年齢が違わない。
100メートルほど先に停めた車から、小走りでこちらに向かってきてくれた。
どうも私の看板を見て停まってくれたらしい。
「歩いて新潟に行くんですか!?」
私は祖母の家に徒歩だけで行きたい思いを語り、二人は励ましの言葉とお茶をくれた。
そして記念写真を撮影。
汚い笑顔だな、と自分を見ては毎回思う。
折角の美女の写真なのに、汚い奴が映り込んでいて最悪である。
そんな汚い奴だが、その後二人とインスタを交換した。
以来、到着までメッセージを交わし、これも道中の励みになった。
夕方になると、心身的に疲労が溜まってくる。
当初の予定よりも全然進んでおらず、今日中に群馬に入れるかすらわからない。
しかし野宿するにも場所を探さないといけないので、とりあえず進む以外に選択肢がない。
歩いては休んでを繰り返しつつ、牛歩戦術で進む。
しばらくすると、国道17号との合流点が見えた。
と同時に、なぜか滅茶苦茶に泣いた。
過去に自転車で通ったときに、ハッキリと覚えている道であった。
自転車でそこまで行くのにどれだけ大変だったかを知っているからこそ、歩きで到達したことに感極まったのだろうか。
わからないが、ボロボロに泣きながら歩いていた。
完全に危ない奴である。
原因がわからない以上、なぜ泣いているのかを尋ねられたら「国道17号に来たからです」としか言いようがないのだが、それを言ったら確実に危険認定されるだろう。
幸いにも、通行人がいなかったので事なきを得た。
汚い危険人物は、そのまま群馬県に突入した。
全体のペースとしては駄目だが、なんだか己との闘いに勝ったような気がしたので十分である。
19時過ぎ、公園を発見。
水道で汗を拭き、崩れ落ちるように就寝した。
↓この日の成果
新潟歩き旅Day2
新潟歩き旅が終わって1か月経ったというのに、ブログのほうはまだ1日目しか書いていません。
これは非常によろしくない。
なのでさっさと2日目以降も書いていきます。
2日目
7月28日午前0時。
河原で寝ていたところを野良猫に威嚇され起床。
再び寝ようかと思いましたが、雨が強くなりそうだし初日の距離も全然進まなかったので、場所替えを兼ねて歩くことにしました。
当然、辺りは真っ暗なのでヘッドライトを点けて歩きます。
深夜なので全然人もいません。
いなかったのですが、、、
「こんばんは」と後ろから声が。
自転車に乗った眼鏡系好青年(吹奏楽部入っていそう)が声をかけてくれました。
話をすると、なんと彼も埼玉→新潟を自転車で経験したとのこと。
「自転車でもキツかったのに歩きって凄いなと思って声かけちゃいました!」と励ましの言葉と飲み物を頂いてしまいました。
こんな夜中に同じような趣味の人間が偶然出会うってあるんだなあ…
出会う人たちがこんなにも色々と恵んでくれるのも凄いです。
感謝の気持ちを抱きながら、再び前に進みます。
午前2時になったあたりで大雨に。
そろそろ寝床も確保したいと思っていると、歩道橋を発見しました。
他に雨をしのげそうな場所もなかったので、階段下の部分を寝場所に決定。
完全に人通りのない道でしたし、暗いうちに立ち去れば大丈夫だろうということで仮眠することにしました…が、しばらくすると水たまりが階段下に流れ込んできて起床。
さらに車が通ると強風が来るのですが、服が若干濡れているのでこれが非常に寒い。
その後も頑張って寝ようとするのですが、結局10分寝ては起きてを繰り返す感じでほとんど寝れませんでした。
それでも5時前まで休憩できたので進むことに。
雨の強さは変わらずなので、ザックごとツェルトを被って歩きました。
写真のように被せて、ポンチョのように使います。
しかし真夏なので、これで歩いているとかなり暑いし蒸れます。
一応、ゴアテックスのレインウェアも試したのですがこちらも暑く、ツェルトのほうがマシだったのでこれで歩いていました。
肉体的にキツイのもあったのですが、この日キツかったのは特に面白みがないところ。
誰もいない雨の道を淡々と歩くだけで、周りにあるのも畑と山だけです。
人と話せたり面白い光景が見れたりすれば楽しいのですが、何もないのは精神的にもキツイ。
出発前は「歩きながら色々考え事とかできそうだな」と思っていましたが、そんな余裕はなかったです。
考えることもあるにはあるのですが、マトモに思考回路が働かないので大したことは考えられず、休憩とともに全部忘れます。
プロの冒険家の本を読むと事細かに活動中の心境などが書いてありますが、あれって結構スゴイことなのではと体感しました。
雨の中を歩き、時刻は17時頃。
この日は夜中に台風が来る予報だったので、ツェルトを設営できそうな場所を探しながら歩いていました。
しかし、急に雨と風が本調子に。
これはもうダメだと悟り、近くにあった木の下でツェルトを設営することにしました。
急いで準備をしていると、横に軽トラックが停まりました。
「大丈夫?」と運転手のおじさんにと聞かれたので、
「装備あるので大丈夫です!!!」
と、強がって返事をしましたが、完全に大丈夫ではないです。
「そうか、気を付けてな」とおじさんは去っていきました。
自分も再び準備に取り掛かかります。
しばらくすると、先ほどのおじさんが戻ってきました。
「ウチ泊まっていっていいよ」
!?!!!?
なんとありがたい御言葉…!
でもこんな得体の知れない汚れた男を泊めてもらうなんて、かなり悪い気が…
そう思いましたが、一方ではこんな優しい申し出を断るのは逆に悪い気もしたので、
「すみません、お邪魔させて頂きます」
と、返事をして家に連れて行ってもらいました。
家ではまず奥さんに挨拶をし、綺麗な服に着替えました。
「実は新潟に行こうと思っていて…」
と、自己紹介をしつつ二人と会話をしました。
おじさんの家は奥さんと二人暮らしで、長男の家族が近所に住んでいるそうです。
家にあげて頂いただけでもありがたいのですが、その後、夕飯から風呂まで、色々お世話になってしまいました。
談笑していると電話がかかってきておじさんが応答。
「…ところでウチ今お客さんが来てるんだけどさ、お前も来いよ」
その20分後、長男の方がやってきました。
いきなり家に入れてくれたおじさんも気さくで良い方なのですが、お兄さんはそれ以上にフレンドリーな方で、会うなりビールを用意してくれました。
「旅してる人が家にいるって聞いたからさ、これは話したら面白そうだと思って」
ということで、今回の旅をやろうと思った経緯、初日の絶望感、過去の自転車旅の話、など色々な話をしました。
「若いうちに色々やっておいたほうがいいよ」
「昨日話したおじさんにも言われたんですけど、やっぱりそうなんですか?」
「まず身体がついてこなくなるから」
「でもお兄さん、運動はわりと続けていたんですよね?」
「運動しててもダメだったね…」
「うーん…」
そんな感じの会話です。
そんな感じの会話をしながら22時を迎えたので、お兄さんは帰宅、私は就寝しました。
私の旅経験なんて大した事ないのですが、それでも面白そうに聞いてもらえるのが非常に嬉しかったです。
別に、人にウケたいために旅をしているわけではありませんが、しょぼくても旅をした経験があると、私みたいなコミュ障でも話すネタができる。
そういう意味でも自分の活動に意義はあるのかなと思った次第です。
2日目は画像のピンのところまで進みました。
新潟歩き旅Day1
今回から、新潟歩き旅の実際の工程について詳細に書いていきます。
まず計画についておさらいですが、
・都内自宅→新潟駅の300キロ歩き旅
・車や自転車は使わない
・1日30キロペース
・所要時間は約10日
・お金はなるべく使わない
・寄り道もしたい
といった内容でした。
これらが下方修正されていく様をご覧ください。
1日目
7月27日。
予報では台風が接近していたので、出発するか悩みました。
しかし、先延ばしグセのある私が延期すると一生実行されない可能性があるので、無理矢理決行。
グダグダした結果、出発時刻は11時前とかなり遅くなりました。
すると早速一時間ほどで問題が発生。
とりあえず歩みを進めたものの、想像以上に進みが遅かったです。
まずダメなのが看板。
固定方法が雑なので肩にバンバン当たる。非常にウザい。
ただ、これは試行錯誤してすぐに解決しました。
本当にダメだったのはザックです。
メチャクチャ重いし、メチャクチャ肩に食い込む。
そのせいですぐに肩が限界を迎え、30分に一回は休憩していました。
結論から言うとザックの調整が正しくできていなかったために苦しんでいたわけですが、当時の私は「初日だし身体が出来上がっていないだけだろう」と納得しました。
じゃあ初日に備えてコンディションを整えておけよと今では思います。
そうこうして、死にそうになりながら入間市に突入。
気が付くと、日が沈み始めていました。
初日の目標は坂戸市突入だったのですが、この時点で時間的にも体力的にも無理なことを悟ります。
疲れもピークなのでコンビニの駐車場でダウン。
「あまりにも進まないし、やっぱり帰ってしまおうか。明日は台風も来るし。」
しかし駅まで歩くのも遠くてキツイので、仕方なく歩きます。
完全に無になって歩いていると、前方から「お兄さん」と声が。
顔を上げると、推定21歳くらいの綺麗なお姉さんがいました。幻覚ではなさそう。
喩えるのが難しいですが、30%ほど安田美沙子因子がある綺麗なお姉さんです。
「あ、あああ、はい」
疲れて陰キャラの極みみたいな返答しかできない。実際陰キャラですが。
「さっきお母さんと二人で後ろ歩いてたんですよ。そしたらコンビニのところで座り込んじゃってたんで、大丈夫かなと思って」
「す、すみません」
「新潟まで歩くんですか?」
「は、はい、今日が一日目です」
「凄いですね!あの、これおにぎりなんですけど、よかったらどうぞ」
「…!?」
「いや、もし荷物になっちゃうなら大丈夫なので…」
「あ、ありがとうございます!」
なんだか申し訳ない気持ちもありましたが、せっかくの善意を断るのも変なのでありがたく頂きました。
「あの、写真撮ってもいいですか?」
おにぎりをくれた聖人の頼みを断る理由もないので快諾します。
ガッツポーズをして構えていると、
「じゃあ、こっち向きで並んでもらっていいですか?」
との一声が。
なるほど、自撮りツーショットなんですね。
ソロだと思ってポーズを決めてしまった。
若干恥ずかしい思いをしつつ、改めてガッツポーズをして写真を撮ります。
「ありがとうございます!じゃあ、新潟まで頑張ってください!」
「こちらこそ、ホントにありがとうございました!頑張って歩きます!!」
そんなやりとりをしながら、お姉さんと別れました。
その後はまた黙々と歩いていたのですが、おにぎりの入った袋をザックにしまうため道沿いにあった公園(彩の森入間公園)に立ち寄りました。
今日で30キロ歩くのは確実に無理なので、今夜の野宿場所の再検討も行います。
地図を見ながら悩んでいると、
「ちょっとそこのきみ!」
と、また一声が。
見ると、ジョギング中のおじさんがそこにいました。
「旅してるの?」
「はい、新潟まで歩こうと思って」
「新潟まで!?」
と、驚いていました。
いや、私も近所の公園に「新潟まで歩いているところです」と言う人間がいたら確実に「!??!??」ってなると思います。
私はもちろん、おじさんも旅に対して強い憧れを持っている方で、色々なことをお互いに語りました。
「明後日台風来るけど大丈夫?」
「一応、対策は考えてあるので大丈夫です。台風は大変ですが、今回出発しなかったらそのままズルズルと計画を延期しちゃう気がして」
「その気持ちわかるなあ。俺ももう退職したし、車で日本一周したいっていう目標があるんだけど、考えるだけでなかなか決行に至れなくて」
「僕も本当は、もっと装備の吟味とかしなきゃダメだったと思います。でも考えているうちにこれキリがないなと思うようになりまして。計画練っていたんですけど、練るだけで一生出発しないんじゃないかという気がしてきたので、思い切って出てきました」
他にも
「俺、車で日本一周したいんだけどさ、進むのは一日50キロまでにしたいんだ」
「50キロですか?」
「一周するのが目的ではないからさ。行こうと思えば何百キロも行けるけど、それだと運転に夢中になって道中が見れないじゃない。だからゆっくり行きたいんだよね。まあ、君みたいに歩きはキツイから車なんだけど」
「その気持ちわかります、僕が今回わざわざ歩きにしたのは同じ理由で…」
と、お互いがお互いの言いたいことを言うような会話が一時間ほど続きました。
この方と一緒に旅をしたら、物凄く気が合いそう。
「さて、お兄さんは今日もまだ進むんでしょ?」
「そうですね、もうちょっと進んで適当なところで寝ようと思います」
「お兄さんと話していて、僕も頑張ろうって勇気もらえたからさ、お礼にジュース代出させてよ。150円…は無かったから200円、はい」
「す、すみません。ありがとうございます」
「じゃあ頑張って!」
そうして別れの挨拶をして、また道を進みました。
19時半ごろ、河川敷にちょうどいい広場があったので野宿場所に決めました。
予報ではまだ台風は来ないそうですが、安全と雨対策のため、高台の近くにあった木の下に設営しました。
ツェルトは面倒だったので銀マットと寝袋だけです。
グタグタになりながら、夕食の準備をします。
頂いたおにぎりの袋を取り出すと、中にはおにぎりの他にもウイダーゼリーとサイダーが入っていました。
夕方の時点では帰ろうかなと考えていた私ですが、お姉さんとおじさんに励まされたことにより、「成し遂げなければいけない理由」みたいなものができた気がします。
新潟までの歩き旅なんて所詮は己との闘いでしかなく、誰かのためにやっているわけではありません。
辞めたところで何のマイナスも無いですし、むしろ旅なんかしないで勉強でもしていたほうが有意義でしょう。
しかし不思議なもので、人から「頑張って」とか「勇気をもらった」とか言われると、途端に辞めることが罪に感じられてしまうのです。
これは責任感とは確実に違った感情で(実際、辞めたところで何の責任もないのですが)、今もよく解明できていません。
ただ言えるのは、こうして人から励まして頂けるのは私が「旅をしてよかった」と思える瞬間の一つです。
そうやって「旅をしてよかった」と思った後だからこそ、「お前、こんな面白い旅を辞めるのか?」という意味での罪の意識があるのかもしれません。
何はともあれ、半日にして折れかけた心でしたがなんとか持ちこたえることができました。
そんな感じで1日目は終了です。
一応、20数キロ進みました。
日本酒ノート(自分用)
Q.1 精米歩合が低いと何が嬉しいのか?
A.1 そもそも精米をするのは、米の外側の「雑味」のもとになるタンパク質や脂肪を除くため。なので精米歩合が低いほうが酒の雑味が減り、香りも良くなる。しかし低ければ低いほうが良いというわけでもなく、例えば新精米歩合を20%以下にすると吟醸香が立ちやすくなる代わりに米のうま味も無くなってしまう。ただし獺祭のように精米歩合が2割台の酒も存在し、そうした酒でも米のうま味を引き出していて旨いと評価されるのは、蔵元の技術の高さにある。尚、実際には40%まで磨けば十分と言われている。
Q.2 なぜ米を炊くのではなく蒸すのか?
A.2 炊いた米では麹が造りにくいため。日本米は粘りが強く餅状になるため、麹菌が繁殖できる表面積が小さくなる。一方、蒸米なら固めに仕上がり、米粒があまりくっつかないので、表面積が大きくなる。また、炊いた米は消化しやすく、糖化と発酵のバランスが崩れて並行複発酵がうまくいかなくなるため。
Q.3 原酒とは何か?
A.3 醪から搾った酒に水を加えていないもの。通常、日本酒は瓶詰め前に「割り水」を加えることでアルコール度数を15~16%にして、味わいのバランスや飲みやすさを整える。対して、原酒はアルコール度数が18~20%あり、風味が濃醇になる。そのため、ロックなどの飲み方にも向く。
Q.4 亀口とは何か?
A.4 酒槽で搾られた酒が流れ出る出口のこと。「亀口」や「亀口直取り」とは搾られて何も手を加えられていない酒を意味する。味を均一にするためのブレンドがされていないため、単独醪による仕込み毎の旬の風味、味の違いを楽しむことができる。製法上、無濾過生原酒となる(はず)。
Q.5 生酒だと何が嬉しいのか?
A.5 通常の日本酒は、醪から搾った後に加熱殺菌(火入れ)を行う。この火入れをしない酒を生酒と呼ぶ。生酒はできたてのフレッシュな味わいになるため、爽やかでやわらかい口当たりを楽しむことができる。ただし、長期間保存すると残存する麹の働きで酒質が変化してしまうので注意が必要である。
Q.6 普通酒とは何か?
A.6 特定名称酒(吟醸酒や純米酒などのカテゴリー)に属さない日本酒のこと。「普通酒」は通称であり表示義務はなく、ラベルに単に「日本酒」や「清酒」とあれば普通種である。精米歩合は平均で70%ほど。以下の記事の表も参考になる。
Q.7 日本酒度とは何か?
A.7 酒の甘口/辛口を判別する目安。15℃の日本酒を4℃の水と重さで比較し、軽い酒はプラス、重い酒はマイナスで示される。比重は主に糖の含有量で決まるため、糖が多いほど比重は大きくなる。したがって、甘口を飲みたいならばマイナスの数値の大きいものを、辛口を飲みたいならばプラスの数値の大きいものを選べばよいことになる。しかしながら、実際に舌で感じる甘辛は必ずしも日本酒度とは一致しない。味は日本酒中の酸度にも影響されるため、日本酒度がプラスでも酸度が低ければ甘口になり、逆にマイナスでも酸度が高ければ辛口になることもある。このため、最近では新たな指標として「新甘辛度」が提案されている。これはグルコース(ブドウ糖)濃度から酸度を引いた値を見るもので、1.0~1.1を中央値として、値が大きいほど甘口、値が小さいほど辛口となる。
まだ勉強中なので不明。米、米麹、醸造アルコールが原料であり、精米歩合が60%以下という点ではどちらも同じである。本醸造酒の中でも低温で発酵させたものを吟醸酒と呼んでいるのだろうか。
参考
和田美代子(著) 高橋俊成(監修)『日本酒の科学』講談社 2015
他にも各項に記載したリンクを参照した
新潟歩き旅(装備編)
今回は歩き旅での装備について書きます。
全装備を並べた写真があればよかったのですが、撮り忘れたのでありません(断言)。
持って行ったのは以下の通りです。
ギア類
ザック
石井スポーツの60リットルサイズのザック。父親が昔使っていたもの。
ただ実際に使ってみると、中途半端な感じが否めなかったです。
無駄なものを持っていかなければ45リットルくらいで十分な感じがありましたし、逆に途中でお土産等を買うような旅をするなら60リットルでは少ないです。
あと外側のポケットが少ないのが難点。
休憩の際、いちいちバックル外して飲み物を取り出すのが面倒でした。
それ以外は可もなく不可もなくといったところです。
トレッキングポール
ブラックダイヤモンドのトレイル。
出発3日前くらいになって「これポールないと死ぬのでは??」と思ってAmazonで急遽購入。
中国製の格安ポールでもよかったのかもしれないですが、道中で壊れると困るのでこれにしました。
実際、50回くらい(本当に)側溝に引っ掛けましたが、折れなかったので剛性は確かだと思います(先端は若干曲がりましたが問題は無し)。
平地でも楽な感じはするのですが、一番効力を発揮したのは坂道のとき。
足腰の力だけでなく、ポールの補助があると劇的に変わります。
これがなかったら峠は越えられなかったかもしれないです。いや、ホントに。
ツェルト
mont-bellのU.L.ツェルト(画像はU.L.ではなくライトツェルトですが…)。
ツェルトとは簡易的なテントみたいなもので、様々な使い方ができます。
今回の旅でテントとして使うことはありませんでしたが、荒天時にザックカバーおよびポンチョとして積極活用しました。
U.L.ツェルトの何が嬉しいかというと、その軽量さ。
重量は240gしかなく、収納時のサイズも350ml缶くらいしかありません。
また、私がテントではなくツェルトを使う理由として「目立ちたくない」というのがあります。
公園等にテントを張ると目立つので、人によっては不信感を与えてしまいますし、通報される可能性も考えられます。
しかし茂みの裏でツェルトを被って寝れば背も低く人目を避けれますし、変なトラブルを起こさずに済みます。
撤収作業も容易なので、パパっと設営してパパっと立ち去れるのが便利です。
ペグ
テント用のペグを、ツェルト用に持っていきました。
上述の通り、使うことはなかったです。
キャラバンの超古いスリーシーズン用寝袋。
私は冬用にmont-bellのアルパインダウンハガー800#2を使っていますが、それよりもデカいです。ホテルの枕くらいあります。
寝るときも少し暑く、やっぱりコンパクトな夏用寝袋を用意すればよかったと思います。
銀マット
寝るときに使うロールマットです。
サイズは170センチくらい。
そろそろフォームマットやエアーマットに変えたいです。
ヘッドライト
GENTOSのGTR-943H。
夜間はほぼ歩きませんでしたが、トンネル内では後ろ向きにつけてバックライトとして使用しました。
他には、寝る前の明かりとして使用。
Lowモードだと手元を見るのに丁度いいです。
ウォーターキャリー(2リットル)
エバニューのウォーターキャリーです。
折りたたむことができるので、中身のないときはコンパクトに収まります。
行動中は、水道を見つけたら4リットルまで水を補給するようにしていました。
補給場所は公園や神社など。
特にシミュレーションをしたわけではなかったのですが、補給場所の間隔的には4リットルの量がベストでした。
3リットルだと次の水道に到着する前に使い果たしていた可能性があります。
ポリタンク(2リットル)
4リットルの水を携行するためには、上述のウォーターキャリーが二つ必要になります。
しかし私は一つしか持っていなかったので、残りの2リットルはポリタンクを使いました。
勿論折りたためないので、コンパクトさはないです。
ナイフ
モーラナイフcompanionのかわいいオレンジ色です。
出発前は、「余裕あったらキャンプとかしたいな」とか考えていたので持っていきましたが、そんな余裕はありませんでした。
その代わり、足のマメを潰す際には活躍しました。
飯盒
キャプテンスタッグの兵式4合炊き飯盒です。
生米を炊く際に使いました。
料理が捗るので私のお気に入りアイテムの一つです。
今回特に料理はしていませんが。
ガス
飯盒用に持って行きました。
バーナーはイワタニ製を使っていますが、かなり旧式なのでデカくて重いです。
スコップ
ダイソーの園芸用スコップ。
トイレの後始末用に。
洗濯セット
釣り用の折りたたみバケツ、粉末洗剤、洗濯ばさみのセット。
公園でバケツに水を入れ、手洗いします。
なぜか粉末洗剤を持って行きましたが、液体洗剤のほうが使い勝手がいいです。
ウェア類
ランニングシューズ
asicsのnoosa ff 2です。
登山靴よりも、軽量さとクッション性を求めてランニングシューズにしました。
メッシュなので若干足も涼しく、これは正解だったな…と思いましたがサイズがダメでした。
横幅がジャストフィットすぎたせいか、4日歩いたあたりから足にマメが大量発生しました。
2週間歩くときはサイズに余裕がある靴を選ぶようにしましょう。
近所を走るには最高の靴なんですが…
ハット
サバゲで使っているのを被っていきました。
通気性や速乾性を考えると、絶対アウトドア用のほうがいいです。
ただ、これがなければ直射日光に殺されていたのは確実。
レインウェア上下
mont-bellのストームクルーザー。
高校生の頃から自転車通学で活躍しています。
機能的には申し分ないのですが、今回はツェルトをポンチョ代わりにしていたので使用していません。
しかし購入当時、こんな高くなかった気が…
Tシャツ短パン
上下で三枚ずつ持って行きました。
上はグリマーの速乾Tシャツ3枚ですが、下はジャージ2枚とサッカーのユニフォーム(中学時代のやつ)1枚でした。
基本的には2枚をローテーションするのでユニフォームは使いませんでしたが、3枚あったほうが確実だと思います。
ちなみに衣類はすべてジップロックに入れ、防水して持って行きました。
靴下
テスラの6枚組ショートソックスです。
厚手の靴下のほうが良かったのかもしれませんが、涼しいし不満はなかったです。
私服
祖母の家に着いてから遊びに行くための服。
ジーパンなど3日分。
食料
アルファ化米
食料はほぼ自作したのを持って行きました。
まず主食であるアルファ化米ですが、一度炊いた米を天日干したものです。いわゆる糒です。
タッパーに適量を入れ、水を入れて3時間ほど放置すると柔らかくなります。
食事が終わるごとに次の食事分を作ってローテーションしていくと、ちょうどいい柔らかさで食べれました。
放置時間が長くてもビチャビチャになったりしませんが、24時間以上放置すると酸っぱい臭いがしてくるので注意しましょう。
ちなみに、酸っぱい状態でも何度か食べましたが特に体は問題ありませんでした。
合計で10合ほど持って行きました。
生米
5kgで1500円。
10合持って行きました。
パスタとペンネ
500gずつ。
業務スーパーでどちらも100円弱。
持って行ったけれど食べませんでした。
ザックに詰めても意外と折れなかったのは発見でした。
インスタント麺
カルディで買ったベトナム製インスタント麺。
パクチーラーメン以外にも2種類持って行き、合計3つ。
本当は普通に家で食べるつもりで買いましたが、なんとなく持って行きました。
しかしながら、これも食べなかったシリーズの仲間入りに…
アジの干物
10センチ強のアジ10尾を丸々乾燥させたもの。
一夜干しではなく、一週間ほどかけて完全に乾燥させました。
今回、箸を持って行くのを忘れたのですが、タッパーの米を食べる際のスプーンとしても使いました。
乾燥野菜
ニンジン2本とキャベツ1/4玉を用意。
これも天日干ししたもの。
乾燥するとかなり小さくなって携行性に優れるので、もっと用意してよかったと思います。
アルファ化米と一緒にタッパーに入れて戻してもいいのですが、戻ると「生のニンジン食ってる感」が凄くてポニーの気持ちになったので、途中から乾燥状態のまま食べてました。
乾燥バナナ
バナナ2房を干したもの。
業務スーパーで値下げ品になっていた黒いやつなので、2房で140円ほど。
ここまで読んで分かる通り、質素すぎる食事なので圧倒的にカロリー不足だったと思います。
調味料
砂糖、塩、醤油、黒胡椒、サラダ油を用意。
胡椒と油はキャンプでの使用を想定した物。つまり使っていません。
砂糖と塩は、休憩時に水とともに摂取して即席ORSを作りました。
醤油は飯盒で炊き込みご飯を作るときに使いましたが、出来は微妙だったので無くてもよかったです。
アルファ化米、生米ともに、食べるときは大量に塩をかけます。
その他
看板
ダイソーのホワイトボード。
街中を大荷物背負いながらハアハア歩いてたら完全に不審者なので、新潟まで歩いてます的なことを書いて背中に吊るしてました。
実際、よく声をかけて頂いたりしたので効果は大きかったと思います。
途中、ザックの重みで大破したのでテープで補修しながら使っていました。
看板として使うなら絶対にこれじゃないほうがいいです。ゴミ捨てるにも困るので。
ビニールテープ
経験的に、あると便利。
靴擦れのときにも使える。
トイレットペーパー
使い方いろいろ。
2ロール持って行きましたが、1つでよかったです。
モバイルバッテリー
ANKERの7800mAhのモバイルバッテリーです。
私のiPhone7だと2回くらい満タンにできます。
バッテリーが尽きたら途中でマンガ喫茶等で充電するつもりでした。
地図
1/350000の関東ロードマップ。
スマホの地図が見れないときの保険として持って行きましたが、主要道路が見にくすぎる。
本
野草図鑑や小説など本3冊を携行。
もっと楽な旅だと考えていたので、就寝前とかに読もうと思っていました。
実際は全然楽じゃなかったので、完全なウエイトになりました。
後日読みましたが本の内容自体は良かったです。
以上、だいたいですがこんな装備で歩いてました。
重量は計ってないので正確ではないですが、30キロの歩荷登山をしたときよりは重かった気がします。
今になってみると余計なものだらけですし、足りないものも多いです。
特に医療用品がビニールテープだけ(ビニールテープを医療用品と認めるかはともかく)なので、熱でも出したら詰んでいたと思います。
そもそも歩き旅が目的なのに、キャンプとか寄り道とか考えていた時点で装備の最適化はムリだったでしょう。
しかしながら、こんなのはやってみないとわからない点も多いので、次に何かするときの参考材料ができた意義はありました。
……
次…何をやるのだろう……
とりあえずブログは実際の工程について書きます。
歩いて新潟に行きました
東京から新潟まで約350キロ、歩き切りました。
今回の記事ではその概要を書いていきます。
目的: 都内の自宅をスタート地点とし、ゴールの新潟駅まで歩く
300キロ超の道のり。
車や自転車は使いません。
なぜ新潟駅かというと、駅の近くに祖母の家があるからです。
率直に言って、今回の旅は「帰省のついでにちょっと挑戦してみるか」的なノリで思いつきました。
なので祖母の家が実質的なゴールなのですが、「新潟駅」とデカイ建物に書いてあったほうが「新潟に着いた!!」という感じがあるし達成感もありそうなので、旅としてのゴールはこっちにしました(あと到着と同時に豪遊したいし)。
目標1: その土地の雰囲気を味わう
漠然とした目標ですが、今回歩き旅をしようと思った理由の一つでもあります。
実は4年前に自転車で新潟に行ったことがあるのですが、メチャクチャ奮闘して楽しんだわりにはあんまり道中の思い出が無いことに気が付きました。
峠がキツかったとか、ジュース飲みながら寝落ちしたら全身にアリが群がってきて大変だったとか、確かに楽しい思い出はあります。
でもあそこの風景はとても綺麗で感動したとか、あの町の人はメチャクチャ面白かったとか、そういう「その土地その土地での思い出」みたいなのがあんまり無いのです。
まあ、自転車のときは長距離を走ること自体が目的でしたし、寄り道もしなかったので仕方ないのですが。
そのため今回は徒歩というゆっくりな手段を用いることで、以前見落としてしまった面白いものを見つけていきたいと思いました。
目標2: なるべくお金を使わない
自転車旅のときもそうでしたが、私の旅はあまりお金を使わないケースが多いです(そもそもお金が無い)。
特に今回は長期間で体力も使いますが、だからといって道中でコーラを買いまくると破産するので、このような目標を設定しました。
あと、普通に旅するより縛りプレイのほうが楽しいですし。
食事は事前に作った干飯が中心で、寝るのも野宿が基本になります。
正確な計算ではないですが、たぶん1食50円くらいです。
食事の詳細については後日記事にします。
目標についてはこんな感じです。あんまり多く設定すると疲れるし自由もきかなくなるので。
マイマップの機能を使い、1日30キロを目安にマーカーをセットしました。
このペースでいけば10日くらいでゴールできる計算です。
とはいえ、早く着くことは今回の目標ではないですし、むしろ寄り道したいときは積極的にしようと思っていました。
↓道の駅や温泉などマーカーが混在してますが、こんな感じです。紫がマイルストーンのつもりです。
以上が出発前に練っていた計画になります。
次の記事では用意した持ち物や食料について書きます。