新潟歩き旅Day3
3日目
7月29日。
泊めて頂いたお家にて起床。
朝食を頂き、出発の準備をする。
「台風はもう大丈夫そうだね」
「そうですね、雨は降りそうですが、どうにかなりそうです」
「じゃあ気を付けて。これ、電話番号だから何かあったら電話しな」
そう言って、おじさんは私に電話番号を渡してくれた。
ちなみに、お兄さんとは前日にフェイスブックを交換した。
「本当にありがとうございました、無理しない程度に頑張ります」
時刻は午前8時。
今日もツェルトを被りながら出発した。
この日はほぼ関越道に沿って進む予定だった。
つまり分岐がないので道に迷わずガンガン進めるはずであった。
これまでのペースは遅すぎたので、挽回するチャンスである。
別に時間制限を設けているわけではないので、ペースが遅いとダメなわけではない。
しかし、二日間歩いただけで肉体もメンタルも疲弊していたし、無駄に長い時間歩きたくはなかった。
パッパと歩いて、面白そうなところがあればゆっくり止まる。
そしてパッパと新潟に着いてゆっくり休む。
これが理想的な工程である。
どう考えても、こんな重いザックを背負う日数は短いほうがいい。
ところがこの日の天気は最悪だった。
朝は雨が止んだり降ったりで、不快指数が上昇していく。
晴れ間が見えたのでツェルトを仕舞うと、また雨が降るのでツェルトを出さなければならない。
ただし、この出し入れ自体は若干の煩わしさがあるだけで特に問題はない。
問題なのはツェルトを被っている状態で日が出てくることで、これにより軽い蒸し風呂のような状態になる。
当然、蒸し風呂から脱出(文字通り)しようとするわけだが、そこで雨が降ってくると脱げなくなってしまい、無駄な体力の消耗を強いられる。
逆に、脱いだ状態で雨に打たれてしまうとこれはこれで支障が出る。
結局、午前中は変な天候が続き、パッパと歩けないまま午後になってしまった。
午後は完全な快晴だった。
しかし、これはこれでキツイ。
今年の日差しは凄まじく、不用意な外出は避けるよう勧告までなされていた。
そんな炎天下をザックを背負って歩かなければならない。
それに、肩や腰も痛い。
ついでに足のマメもでき始めた。
最悪の三拍子である。
勿論ペースは悪い。
少し歩いてはガードレールにザックを委託し、肩と腰を休める。
そうしないと進める気がしなかった。
半分くたばりながら歩いていると、遠くから女性が声をかけてくれた。
お母さんと娘さんである。
娘さんは恐らく私と2,3個しか年齢が違わない。
100メートルほど先に停めた車から、小走りでこちらに向かってきてくれた。
どうも私の看板を見て停まってくれたらしい。
「歩いて新潟に行くんですか!?」
私は祖母の家に徒歩だけで行きたい思いを語り、二人は励ましの言葉とお茶をくれた。
そして記念写真を撮影。
汚い笑顔だな、と自分を見ては毎回思う。
折角の美女の写真なのに、汚い奴が映り込んでいて最悪である。
そんな汚い奴だが、その後二人とインスタを交換した。
以来、到着までメッセージを交わし、これも道中の励みになった。
夕方になると、心身的に疲労が溜まってくる。
当初の予定よりも全然進んでおらず、今日中に群馬に入れるかすらわからない。
しかし野宿するにも場所を探さないといけないので、とりあえず進む以外に選択肢がない。
歩いては休んでを繰り返しつつ、牛歩戦術で進む。
しばらくすると、国道17号との合流点が見えた。
と同時に、なぜか滅茶苦茶に泣いた。
過去に自転車で通ったときに、ハッキリと覚えている道であった。
自転車でそこまで行くのにどれだけ大変だったかを知っているからこそ、歩きで到達したことに感極まったのだろうか。
わからないが、ボロボロに泣きながら歩いていた。
完全に危ない奴である。
原因がわからない以上、なぜ泣いているのかを尋ねられたら「国道17号に来たからです」としか言いようがないのだが、それを言ったら確実に危険認定されるだろう。
幸いにも、通行人がいなかったので事なきを得た。
汚い危険人物は、そのまま群馬県に突入した。
全体のペースとしては駄目だが、なんだか己との闘いに勝ったような気がしたので十分である。
19時過ぎ、公園を発見。
水道で汗を拭き、崩れ落ちるように就寝した。
↓この日の成果