感想「コウモリであるとはどのようなことか」

トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』勁草書房(1989) を借りて,当該論文を読んだ.原論文は1974年に発表されたものである.読む前は「クオリアみたいな認識論的な問題のことを,コウモリの視点云々の話から論じてる何か」くらいのガバガバな印象しかなかったのだが,実際に読んでみると大変面白く,大変難しかった.以下は全体の流れのメモと感想.

 

「意識の存在が,心身問題を真に困難な問題にしている」(p.258) という書き出しの通り,心身問題がテーマである.特に,物理主義(すべての現象は物理的に説明ができる)の立場から主観的な経験を説明することを批判する内容となっている.

 

 

問題設定(なんでコウモリの話をし始めたのか)

意識体験はありふれた現象である,とネーゲルは切り出す.人間に限らず,犬や猫のような動物が意識を持ち,何かを体験することは確かに認められそうである.しかし,この意識体験というものは一体何なのであろうか.

ある生物が意識をともなう心的諸状態を持つのは,その生物であることはそのようにあることであるようなその何かが――しかもその生物にとってそのようにあることであるようなその何かが――存在している場合であり,またその場合だけなのである (p.260) 

ネーゲルは上のように述べて,これを「経験の主観的性格」と呼ぶ.

 

(なんだか既に難しいのだが,ユクスキュルが『生物から見た世界』で言った「環世界」みたいな考えなのかなと思った(これもガバガバにしか覚えていないけど).同じ世界を見ていても人間ならば人間特有の見え方があるし,ダニならばダニ特有の見え方がある.自分がダニとして意識をもって体験をしているとき,そのときの自分は人間ではなく,ダニである必要がある.逆に言えば,ダニでなければダニの意識を体験することはできない...ということかなと捉えた.)

 

経験の主観的性格は,心の機能的な状態や思考的な状態の観点(つまり,物理学的(科学的)な観点)から説明することでは分析できない.もしできるとすれば,何事も経験することのないロボットさえ主観的性格を持っている,と言えてしまう.同様にして,主観的性格は人間の振る舞いにおける諸体験の因果的な役割を見ても分析できない(これ多分,行動科学的なアプローチも否定する主張),とネーゲルは言う.

 

(例えば「甘い」という体験を持つロボットが開発されたとしても,生理学的(ロボット工学的?)には「そのロボットが「甘い」という体験を持っている電気信号」しか発見できない.ここで問題になっているのは恐らく,「ロボットの視点からの「甘い」という体験はどのような体験か?」という点(参考: p.279 注2) )

 

なんで客観的な物理理論で心(意識)を説明できないかといえば,この主体的性格が原因である.ネーゲルは,主観的特性の持つ問題性をもっとはっきりさせるため,主観的な見方と客観的な見方の相違点を明瞭に示す実例(コウモリの例)を提示する.

 

 

コウモリの例

コウモリが体験を持つことを疑う者は誰もいない,とネーゲルは言う.なぜコウモリを取り上げたかというと,系統樹を下りすぎるとそもそもその生物に体験が生じている,という可能性が怪しくなるからである(私は上でダニの意識云々と書いてしまったが,確かにダニのような生物よりは,コウモリのような生物のほうが体験を持っていそうだ).しかしコウモリは,哺乳類であるという点で(ダニのような)他の生物よりもわれわれと近い関係にありながら,われわれとは大きく異なっている点もある.そのため,コウモリを取り上げることでネーゲルの提起したい問題が鮮明に示されるのだという.

 

われわれはコウモリの体験を理解することができるかを考えよう.まず,コウモリが体験をもつことは疑いえない,と考えられるのは,「コウモリであることがそのようにあることであるようなその何か」が存在するためである(先の引用文と同じ話).ところが,コウモリの体験を理解しようとすると,次の点が問題になる.われわれが視覚によって行うのと同じように,コウモリはソナーによって外界を知覚している.しかし,コウモリのソナーの機能はわれわれのどの感覚器官にも似てはいない.「それゆえに,ソナーによる感覚が,われわれに体験または想像可能な何かに,主観的な観点からみて似ているとみなすべき理由はないのである」(p.263) こうした事実は,コウモリであることはどのようなことなのかを理解する際の障害になるという.

 

自分がコウモリとして飛び回ったり周囲をソナーによって知覚したりする...という想像をすれば,コウモリの体験を考えることは可能なように思える.しかしネーゲルは言う.

私に可能な範囲では(その範囲もさして広くはないが),そのような想像によってわかることは,私がコウモリのようなありかたをしたとすれば,それはにとってどのようなことであるのか,ということにすぎない.しかし,そのようなことが問題なのではない.私は,コウモリにとってコウモリであることがどのようなことなのか,を知りたいのである.(p.262)

 

こんなとき,「コウモリにとってコウモリであることがどのようなことなのかなんてわかるわけないのだから,主観的体験なんて存在しないと考えてもいいのでは」と思う人がいるかもしれない(神が本当にいるかわからないことを理由に,その存在を否定するのと似た考えだと思った).こうした考えをネーゲルはちゃんと想定していて,次のように述べている.

もし,そのような主観的体験がどのようなものであるのかはわれわれにはまったくわからないのだから,われわれはそのようなものが存在すると信じることもできないはずだ,と主張したくなった人がいたならば,その人は,コウモリのことを考えるに際してわれわれが置かれている立場について反省してみるべきである.それは,知性のあるコウモリや火星人が,人間であることはどのようにあることなのかを理解しようと試みたとすれば,そのとき置かれる立場とまったく同じなのである.(pp. 265-266)

逆の状況として,頭の良いコウモリが人間にとって人間であるとはどのようなことかを議論している場面を考える.そこでコウモリが「わかるわけない」という理由で「人間に主観的体験なんて存在しないです」と結論したとすれば,それは誤りであることがわかる.

「なぜならば,われわれはわれわれであるということがどのようにあることなのかを知っているからである.(中略)そして,記述や理解がまったくできないことについては,その実在性も論理的有意味性も認めないというのは,心理的な葛藤の解決策としては最も幼稚な形態であるという得よう」(p.266-267)

ネーゲルは述べて,先の考えを論駁する.

 

(私は最初,「コウモリが体験を持つことを疑う者は誰もいない」という前提を少し疑ってしまったのだが,この論駁によってそうした疑いも排除されることに気付いた.すごい.)

 

 

コウモリの例から何が言えるのか?

コウモリであるとはどのようなことかを検討することで,①人間の言語で表現可能な命題によってはその本質が捉えられないような事実が存在する ②ある種の事実に関しては,それを記述し理解することはできないにもかかわらず,それは実在することは認めざるをえない ,という問題があることが分かった.しかし,ネーゲルはこの問題の追及はしない.

私が追及すべき問題(すなわち心身問題)とこの問題との関係は,この問題が体験の主観的な性格について一般的に語ることを可能にする,という点にある.人間,あるいはコウモリ,あるいは火星人であることはどのようにあることなのか,に関する事実がどのような身分にあるにせよ,そのような事実は特定の視点を具現している,ということがわかってくるのである (p.268)

コウモリの話は,生物にはその生物の視点というものが存在することを示す.これ心身問題を本格的に議論していくための土台である.

 

ここまでの議論は,個々の体験はその人間にしか知りえないものだ,ということを主張したいのかのように見える.しかしネーゲルは次のように言う.

自分自身以外の視点をとることもしばしば可能なのであって,それゆえ,特定の視点を具現しているような事実を理解することは,自分自身の場合以外にも可能なのである.(pp.268-269)

私は最初,同じ人間でも私と他人では違う存在なんだから,その人の視点を取ることなんてできないと思っていた.けれどもネーゲルはそこまで強い主張をするのではなく,十分に似た対象についてはその視点を取ってみることができる,という.

ある意味では,現象学的事実とはまったく客観的なものである.一人の人間は他の人間の持つ体験の性質が何であるかを知ったり言ったりすることができるからである.しかし別の意味では,それはやはり主観的なものである.ある対象にある体験を客観的に帰属させることができるのは,その対象に十分似ているために彼の視点を取ってみることができる――いわば第三人称においてと同時に第一人称においてその帰属を理解することができる――ような主体だけだからである. (p.269)

逆に言えば,十分に似ていない対象に対しては,その視点を取ってみることが難しくなる.コウモリの例で,ソナーの存在が理解の障害になったのはその一例だろう.ある生物種の体験はその生物種の視点からしか近づけない,というのは分かる話である.

 

そうだとすれば,体験というものはその生物の生理的な作用として顕れる,という物理主義の主張は,根拠のない主張となる.経験の主観的性格は,心の機能的な状態や思考的な状態の観点から説明することでは分析できない.という冒頭の主張が,ここで裏付けられるのである.

 

物理的現象として事物を客観的に理解する際,そこには生物特有の視点とか体験といったものは排除されているはずである.どんな人間にとっても,またどんな生物にとっても物理法則は共通しているし,そうした法則をもとにした説明はすぐれて客観的なものである.言いかえれば,人間に固有の視点からできるだけ遠ざからろうとするのが正しい姿勢である.一方,体験を理解する場合には,特定の視点との結びつきが重要になる.「結局のところ,もしコウモリの視点を取り去ってしまえば,コウモリであるとはどのようにあることなのかに関して,いったい何が残るのであろうか」(pp.270-271)  とネーゲルは述べる.生理学者は主観的な性格ではなく客観的な性格だけから私の心的過程を見る.それによって,私の心的過程から何らかの物理的過程を観察することができる,と言える理由はどこにもないのである.

 

 

結論

ここまでの議論を受けて,ネーゲルは次のように述べる.

およそ体験が客観的な性格をもつということに何らかの意味がありうるかどうかという根本的な問い(この問いからは脳への言及はまったく排除されていてよい)に関しては,ほとんどいかなる研究もなされてこなかった.言いかえれば,私の体験が私にとってどのように表れるかを離れて,実はどのようにあるのか,と問うことに意味があるのかどうか,という問題が論じられていないのである. (p. 276)

 物理主義に言わせれば,人の心や意識でさえも物理的で客観的な説明ができる.しかし上で述べてきたように,そうした理解は体験の主観的性格を取りこぼしてしまう.それならば,体験が物理的な記述によって捉えられる,という考えはどのように理解すればよいのだろうか.あるいは,なぜその考えが正しいといえるのだろうか.

 

結びとして,ネーゲルは一つの提案をする.物理主義ではない方向からアプローチをすれば,主観的なものと客観的なものの間にあるギャップをきちんと問題にして扱うことが可能であるという.先にみたように,主観的性格は,想像力を介さないと理解できない問題がある.それならばもし,「自己投入や想像に依存しない一種の客観的な現象学」を開発することができれば,体験の主観的な性格の少なくとも一部が,その体験をもちえない存在者にもわかるように記述されるようになるだろう.そして最後に,次のように述べる.

心に関する物理的な理論を考える前に,まずは主観的なものと客観的なものに関する一般的な課題を,よく考えなければならない.そうしなければわれわれは,心身問題を取り逃すことなく設定することさえできないのである.(p.278)

 

 

思ったこと

物理主義に懐疑的な立場を取る内容の論文であるが,私個人としては,物理主義の側にシンパシーを抱いてしまう.この議論を受けて物理主義を擁護する方策としては ①経験の主観的性格が物理主義の立場からでも説明が可能であることを示す ②ネーゲルの議論を疑似問題として扱うことで批判を回避する という2通りの方法がパッと思いつくところである.

 

このうち①は明らかに困難を極めそうである.経験の主観的性格が物理的に還元できない,というのはたぶん正しい主張であるし,論駁できそうな気もしない.還元できないと言われたものを還元しよう,という不可能を可能にする的なアプローチもそれはそれで良いと思うが,どうも見通しが立たない.

 

しかし,この主張の根幹を成している経験の主観的性格というものが実は存在しないとすれば,物理主義を擁護できるかもしれない.これが②の方針であり,もし擁護を図るとしたらこっちになるのかなと思った.

 

こっちはこっちで「で,これが疑似問題だと言える根拠はどこ?」という話になるのだが,正直なところ今の私にはわからない.心身問題について還元的主義的な説明をしている人物の例として,ネーゲルは注1で様々な哲学者を挙げている.ここで挙げられた哲学者は何らかの反論をしているはずなので,その主張に目を通すことはヒントになるだろう.注1ではデイヴィッド・ルイスやヒラリー・パトナムなどの名前が挙げられていて誰から目を通せばいいのかわからないのだが,とりあえずはデネットを読んでみたいなと思った.デネットは以前,TEDのスピーチ(ダニエル・デネット:かわいさ、セクシーさ、甘さ、おかしさ https://www.ted.com/talks/dan_dennett_cute_sexy_sweet_funny?language=ja)を見たことがあり,「ちょっと好きな考え方かも」と思ったのが理由である.注1にはContent and Consciousness というデネットの著作が上がっているのだが,語学力がゼロなので洋書が読めない問題がある.なので,『心はどこにあるのか』ちくま学芸文庫(2016)  あたりを次に読もうかな,と思っている.あるいは,全然違う本を読んでいるかもしれないけれど.

新潟歩き旅Day13

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13日目

8月8日。

燕市の公園で朝を迎える。

上手く進めれば今日中に新潟駅に着く。

朝食のため飯盒で米を炊いていると、犬を散歩しているおばさんがいたので挨拶をした。

広く整備された公園なので、他にも散歩している人はチラホラいる。

私の近くに来た人たちに挨拶をしていると、ちょうど米が炊けた。

食べ終えて飯盒を洗っていると、再びおばさんが来て缶コーヒーをくれた。

約2週間ぶりのカフェインを堪能する。

準備を終え出発しようとすると、ラジオ体操のため子供達が公園にやってきた。

人目につくと不審者扱いされかねないのでそそくさと出ていこうとしたら、随伴していたお母さんに声をかけられる。

「昨日の夕方、道路歩いているの見たよ!」

やはり歩いていると目立つらしい。

「ラジオ体操やっていったら?最終日だから何か貰えると思うよ」

そう言って頂いたのだが、つい数分前に準備運動を終えてしまったのに加え、子供達の手前、最終日だけ現れた汚い奴がご褒美を貰っていくのは抵抗があったので断ってしまった。

今思うと、参加だけしておけばよかったかもしれない。

それでもお母さんは娘と一緒に

「せーの」

「がんばれーー!」

と声援を送ってくれた。

「ありがとう!!」

と手を振りながら出発する。

 

 

この日も快晴であった。

東京ほど熱気を感じるわけではないが、やはり直射日光の下にいると疲れる。

新幹線の高架下に丁度いい日陰を見つけたので、休憩を取った。

休んでいると、目の前にある整備工場の人が出勤してきた。

軽く道を開け、すみません休んでいましたと会釈をする。

すると運転手の男性に「ちょっとコーヒーでも飲んで行きなよ」と言われたのでお邪魔することにした。

男性は整備工場の社長であった。

まだ7時半頃であったが、いつも早めに来てゆっくりニュースを見たいのだと言う。

「ここの道はみんな出勤に使って交通量が多くなるから、少しここで待ったほうがいいよ」

と情報を頂いたので、コーヒーとアイスを頂きながら待たせてもらうことにした。

社長と話していると、提携先と思われる人がやって来たので少し打ち合わせタイムになった。

他に居場所がなかったので、そのまま私も同席してしまう。

打ち合わせが終わると、「ところでこの人は??」という顔をされた。

当然の疑問である。

自己紹介をし、三人で談笑する。

話していると、次第に社員の方たちが出勤してくる。

皆社長に挨拶をした後に「ところでこの人は??」という表情をする。

こちらも当然の疑問なので、自己紹介をしていく。

そうして色々な人と話しているうちに通勤時間帯を過ぎたので、出発することにした。

会社及び提携先からエールを送って頂くのは初めての経験であった。

 

 

11時の時点で残りは約20キロ。

日は沈んでしまうが今日中にはゴールできる計算であった。

新潟駅までは新幹線の線路沿いに進んでいく。

交通量は減ったが、相変わらず快晴過ぎて体力的には厳しい。

おまけに延々と線路と田んぼだけが広がっているため、景色にも飽きてくる。

途中、飲みかけのお茶をくれたおじさんがいたのは有難かったが、その後も延々と線路と田んぼしかなかったので進んでいる感覚がなかった。

 

 

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昼過ぎになって、ようやく田園地帯を抜ける。

一気に工業地帯になり、交通量も多くなった。

やはりアスファルトが多いと気温も空気も不快なものになってくる。

信濃川を渡ってしばらくすると、眼鏡をかけた好青年に話しかけられた。

彼もまた、東京から新潟を自転車で走ったことがあるのだという。

奇しくも初日にあった眼鏡の好青年も新潟まで自転車で走っていた。

眼鏡の好青年は新潟に自転車で行ってしまう自然法則でもあるのだろうか。

私の経験では今のところ、反例はない。

そんな好青年と、彼のマンションまで一緒に歩いた。

彼は私を同志として認めてくれ、応援の証として財布に入っていた小銭をすべてくれた。

感謝の言葉を述べていると、現在地が自分の良く知っている場所であることに気付く。

祖母の家から数本道を挟んだだけの通りだったのだ。

このことを伝えると、彼はすぐに祝福してくれた。

私は改めて感謝を述べ、駅へと向かった。

 

 

駅まではもう一本道、あと3キロほどの地点まで来た。

このままノンストップでゴールしてやろうと意気込んだ瞬間、個人商店のおばさんに声をかけられた。

「飲み物出すからちょっと中においでよ」

そう言われてしまっては、快諾以外の選択肢はない。

自販機の前で、好きなのを選んでいいよと言われたのでグレープフルーツジュースを頂いた。

あまり酸っぱいものを摂取する機会がなかったせいか、本能的に欲してしまった。

店の中に入り、レジ台をテーブル代わりにしながらこれまでの旅の思い出などを話した。

特に、「足とか痛くなったりしないの?」という質問に対しては延々と答えることができる。

このときも足はボロボロで、途中マメが痛すぎて歩けないときもあったほどである。

ノーストップでゴールすると意気込んだものの、実際は疲れもあったのでおばさんの申し出は嬉しかった。

話しに夢中になりすぎて、気が付くと1時間ほど居座ってしまっていた。

ゆっくりと再開の準備をはじめ、お礼を言いつつ新潟駅へと向かった。

 

 

ほぼジャスト20時、ついに新潟駅にゴールした。

所要日数13日、道中の費用は0円、そして沢山の人と話すことができた。

さて、思い出に浸るのはほどほどにして早速コンビニへ向かい、コーラとシュークリームを購入。

ザックからは途中飲むことのなかったブラックニッカを取り出し、駅前でジャグリングのパフォーマンスを見ながら飲みまくった。

飲みながら、隣で見ていたお兄さんと仲良くなる。

「この人たちは、自分のパフォーマンスで人を感動させ笑顔にできて、何だか憧れてしまいます」

「わかります、私なんかただ歩いているだけで、結局は自己満足というか、己との闘いでしかないですから」

「でも十分すごいと思いますよ。東京から歩いてくるなんて」

「そうなんですかね。私の場合、人を笑顔にしたいという目的でやっているわけでもなければ、やっていて生計が成り立つ活動でもないですし。活動自体も別に、黙々と歩いていれば案外着いちゃうので簡単ですよ」

「いやあ、でもそもそも歩こうという気にならないですから」

そんなことを話しながら、パフォーマンスを見ていた。

 

 

午前0時を回り、パフォーマンスは終了。

お兄さんも帰路に着いた。

私は何か食べに行こうと思っていたが、ウイスキー180m瓶を一本飲んでしまったため半分寝かかっていた。

ザックを抱きながら、このままここで寝てしまおうかと思っていたら「あ!!!!」という叫び声が聞こえた。

「ちょっとお前!!!!」と叫び声は近付いてくる。

目を開けた瞬間、「東京から歩いてきたの!!??」と聞かれたので「はい」と答えた。

すると、「お前すげえな!!!!!」と再び叫びながら称賛してくれた。

この人もなんだかすごい。

「じゃあ俺が何か食わせてやる!!何が食いたい!!??」

「肉か魚が食いたいです!!」

「よし、良い焼き肉屋知ってるから行こう!!!!」

という流れになり、おじさんの仲間と一緒に行くことにした。

アラフォーくらいのおじさん、お兄さん、アラフォーくらいのお姉さん×2、私の5人編成で、おじさんとお兄さんは確実に酔っている。

お兄さんは特に叫んだりしていなかったが、なぜか裸足だったので察した。

焼き肉屋に入り、レバーやハラミなどが一皿に盛られたミックス盛りと、ハイボールと白飯を奢ってもらった。

これが最高に美味しい。

疲れているからとか、そういうのを一切抜きにしても美味しいのである。

さらに、店主の人がオリジナルのカレーを白飯にかけてくれた。

普通のカレーではなく、肉々しいコクがあると表現したらよいのだろうか。

とにかく、どれも美味しかった。

食べながら、四人はどういう関係なのかお姉さんに聞いてみた。

すると、「今日初めて会っただけで、全然知らない」と言われてしまった。

やはり、なんだかすごいおじさんであった。

 

 

ハチャメチャに飲んで、飲み会は終了。

おじさんたちと別れる。

祖母の家には翌日向かうと伝えてあるので、今夜は駅で過ごす。

勿論、野宿である。

 

 

【完】

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新潟歩き旅Day10~12

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10日目

8月5日。

無人駅で朝を迎えた。

いつも通り、朝食の白米と干し野菜を食べる。

食事をしていると、地元の方が横を通ったので軽く挨拶をした。

すみません、勝手に寝かせて頂きましたと言うと、何日いても大丈夫よと言ってもらえた。

どこであろうと、普通だったら野宿している人間がいたら警戒心を抱いてしまうはずである。

ところが、このお母さんは一目見るなり優しい態度を取ってくれた。

道中で差し入れをくれる人たちといい、優しい人たちの多さに驚いてしまう。

実際、歩いていて声をかけてくれたり手を振ってくれる人はかなりの割合でいる。

実は、私の思っている「普通だったら」のほうが普通ではないのかもしれない。

 

 

この日の目的地は長岡だった。

長岡には親戚の家があるので、遊びに行くついでに一泊する予定である。

今日中に着くと連絡してしまったので、今回は頑張らないといけない。

だが、問題なく着けるだろうという確信があった。

というのも、9日目終盤にようやくザックの調整がわかってきたからである。

調整してからは、歩きやすさが3倍ほど改善された感覚があった。

無駄な小休止が無くなり、一定のペースで進んでいける。

先に結論を書くようだが、調整前は一日20キロほどだったのに対し、調整後は一日40キロほど進むことができた。

それまでザックの調整は甘く見ていたが、歩行距離が倍違うとなると真剣に考えなくてはいけないと悟った。

 

 

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正午前。

作業をしている農家の人たちと目が合ったので挨拶をした。

新潟駅まで歩いてるの?」

「はい!」

「いやあ、凄いな!そうだ、ウチでスイカ御馳走するから食べに来なよ!」

「行きます!」

そうして、おじさんの家にお邪魔しに行った。

お邪魔といっても家の中に入るわけではなく、二人で縁側に座ってスイカを食べていた。

そこにお母さんも加わる。

お父さんは学生時代に東京に下宿していたらしく、色々と昔話を聞かせてくれた。

「俺のときは緩かったからさ、俺が出席取ってやる代わりに、友達からメシ代を出してもらったりしていたんだ」

「それ、僕もやりましたし今でもありますよ」

「え!まだあるんだ!!」

等々、新旧大学話で盛り上がる。

イカ一玉を食べ終えると、今度は昼食まで用意してくれた。

「今度、よかったら農業体験やりにおいでよ」

そんな嬉しい言葉も頂きながら、昼食を食べ終える。

ちょっと俺は昼寝するから、ゆっくりしていっていいよと言われたが、そろそろ失礼することにした。

ここのおじさんの家もそうだが、お世話になった人たちのところへはいつか顔を出しに行きたい。

 

 

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大量にスイカを食べたおかげで、その後はさらに順調に進むことができた。

とはいえ、流石に長岡は遠く、到着したのは18時過ぎであった。

約十年ぶりに親戚の家に顔を出したら開口一番に

「風呂に入れ」

と言われてしまった。

 

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11日目

8月6日。

親戚に家に滞在中。

当初は1泊だけして出発しようと考えていたが、この日が大雨だったのと「久々なんだしゆっくりしていきな」と言われたのもあり、もう一日いることにした。

家で寝ているだけの、完全な休養日である。

リビングで犬を撫でながらテレビを見る。

ここまでの野宿生活と比べたら、天と地ほどの差がある。

おまけに、小学生の親戚とWiiUでマイクラまでした。

約十年ぶりの訪問だったため初対面であり、最初は「誰だよ!!!!」と言われてしまったが、彼の相棒である愛犬から取り入っていったら次第に心を開いてくれた。

 

 

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夕方になると雨は上がった。

世話になりっぱなしも悪いし身体も動かしたかったので、代わりに散歩に行くことにした。

しかし愛犬氏、なかなか歩かない。

10歩進んではその辺の雑草の臭いを嗅ぎに行くので、何度も急ブレーキを強いられる。

正直、ザックを背負って歩くのよりも疲れるかもしれない。

膝も足もボロボロだったので、余計にダメージを受ける。

20分ほどしたら帰りたい表情をし始めたので家に戻った。

 

 

夕飯を食べ、風呂に入り、布団に入る。

久しぶりの長岡だったが、新たな家族が増えていて楽しい思いができた。

今度はバイクで来てゆっくりと町を巡りたい。

 

 

12日目

8月7日。

8時頃に長岡の親戚の家を出発。

2泊したおかげで痛みもすっかり回復…というわけにはいかなかったが、それでも序盤から良いペースで進むことができた。

この日のうちに新潟駅を30キロ圏内に捉え、次の日にはゴールしたい。

 

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午前中のうちに、50キロ圏内に入ることができた。

半日で20キロほど進める計算なので、これなら目標の距離を達成できそうである。

新潟駅までは国道8号に沿って行けばいいので、道に迷う心配もない。

昼過ぎまでは特にペースが乱れることなく、順調に進んでいった。

 

 

ところが、17時になったあたりで異変が生じる。

原因はわからないが、痔になってしまったのである。

初期症状のうちは我慢して歩いていたのだが、それも次第に悪化してきた。

もう、とにかく痛くて歩けない。

段差に座り込み、うずくまってしまった。

それでもなんとか歩くのだが、数分進んではうずくまってしまう。

仕方なく野宿予定地を下方修正し、残り3キロ弱の位置に近付けたが、体感的にはその10倍くらいに感じてしまう。

腰や足の痛みならば休憩さえとれば回復するのだが、尻の場合は座り込んでも回復しない点が特に辛い。

今すぐ横になって数時間寝ればマシになるかもしれないが、市街地のため休めそうな場所もない。

旅終盤にして、一気に難易度がハードモードまで上がってしまった。

 

 

必死に悶えながら進み、野宿ポイントに到着したのは19時過ぎであった。

いざ現地に着いてみたら野宿できそうな雰囲気ではない、という最悪のパターンも想定したが、なんとかそれは免れた。

むしろ、水道や東屋が揃っている好条件な公園であった。

身体を拭き、夕食を取り、念願のうつ伏せ寝をする。

そのまま眠る…というより気を失うようにして就寝した。

 

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新潟歩き旅Day8~9

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8日目

8月3日。

湯沢町の公園で起床。

流石スキーリゾートなだけあって涼しい。

7日目まではシュラフを使うには暑く温度調整が難しかったが、ここでは丁度いい。

朝食を取り、6時に出発した。

 

 

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途中、道の駅みつまたで休憩をした。

綺麗な池が特徴の道の駅で、池には錦鯉がいる。

錦鯉といえば山古志のイメージだったので湯沢町で見れたのは意外だったが、それでもこうして錦鯉を見るとついに新潟に入ったのだなという実感が湧いてくる。

池に寄るとユラユラと近付いてくるのがまた可愛らしい。

そんな可愛らしい鯉たちを眺めていると、おじさんに声をかけられた。

少し前に私を車で追い越してきたらしく、応援の言葉とイオンウォーターを頂いた。

おじさんと別れ、少しして私も出発した。

 

 

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越後湯沢駅を過ぎてしばらく歩くと、錦鯉を売っている店があった。

ここまで大量の錦鯉を見たのは初めてである。

しかもみんな子鯉なので可愛らしい。

私はたまに多摩川で鯉釣りをするため、「あれ、鯉ってこんなに可愛かったっけ」と余計にびっくりしてしまう。

話はそれるが、昔は私の家にも錦鯉がいたらしい。

祖父が新潟の十日町出身で、知り合いから貰ってきたそうだ。

長い間飼っていたが、あるとき錦鯉は死んでしまった。

普通ならそこで埋めてくるなりするのだが、祖父は「勿体ないから」ということで鯉刺にして食べてしまった。

…と、私は叔父から聞いている。

このカラフルなやつを食うのか…と困惑しつつもどんな味がするのか気になってしまうあたり、「この祖父にしてこの孫あり」ということなのだろうか。

 

 

その後は特に何も起こらないまま夕方まで歩いた。

ちょうど道の駅があったので、駐車場の隅に寝させてもらう。

道の駅で気付いたのは、「蚊のいないことの快適さ」であった。

夏場は暑く、準備するのが面倒なので、私は寝るときにテントやツェルトを使わない。

銀マットと寝袋だけ敷いて、貴重品は寝袋の中に入れて寝ている。

しかし、これまで野宿した場所はたいてい蚊がいたので、寝ている最中に羽音で起こされることが何度もあった。

それが今回は全くないので、ぐっすりと眠ることができたのである。

やはり蚊対策は考えないといけないと思った次第であった。

 

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9日目

8月4日。

5時台には出発しようと思っていたが、あまりの快適さに寝坊。

起きると既に6時であった。

朝食を取ってすぐに出発する。

 

出発してすぐに、目の前に車が止まった。

降りてきた男性から、「覚えてる?」と一言。

数秒かかったが、わかった。

6日目に三国峠の前で凍ったお茶をくれたおじさんである。

まさか再会するとは思わなかったので、非常に驚いた。

「あの日は仕事で向こうに行っててさ、地元はこっちなんだよね。いやあ、ついにこっちまで来たんだねえ。ほら、またお茶やるよ」

そう言って、おじさんは私にお茶とおにぎりをくれた。

私が寝坊しなかったり、違う道を選んでいたらこうして再会することはなかったはずである。

奇跡の再会…ではないが、意外と簡単に再会って果たせてしまうのだなと感じた。

 

 

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この日は長いトンネルがあった。

ちゃんと歩道がついているので三国トンネルのような緊張感はないが、やはりトンネルは嬉しいものではない。

遠目には綺麗でも、実際は排ガスのせいで壁が汚れ切っているので、うっかり擦ると服や装備が真っ黒になってしまう。

さらに休憩できる場所もないので、どんなに疲れても歩き続けるしかない。

おまけに空気も汚ければ、景色も面白くない。

そこで、私はトンネルを歩くときブルーハーツを歌うようにしている。

最初は退屈しのぎに歌ってみたのだが、声が反響するので意外と楽しい。

それに他の歩行者もいないので、好きなだけ大声を出すことができる。

リンダリンダを無限ループで歌っても誰にも怒られない。

今回のリサイタルは30分催された。

流石に喉が疲れてしまった。

 

 

 

トンネルを抜けて十日町に入ると、次第に道が栄えてきた。

気付くと商店街が広がり、人も沢山歩いている。

久々に町に出たなという実感があったが、市街地に出てしまうと徒歩旅的にはやりにくい。

空き地が無いのでなかなか休憩できず、その辺でくたばることもできない。

今思うと、初日のハードさはこうした要因もあったのかもしれない。

それでも、人が多いと応援して頂く機会も増えるので嬉しい気持ちもある。

応援されてしまうと余計にくたばることができないので大変だが。

 

 

18時を過ぎたので、野宿の準備をする。

この日も道の駅で寝る予定だったが、現地を見たら寝れそうな場所がなく人通りも多いので断念。

代わりに、無人駅の脇で寝ることにした。

こちらは本通りから外れているし、終電を過ぎれば人も来ない。

いつも通りテントも張らず、ひっそりと寝かせて頂いた。

 

 

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新潟歩き旅Day7

 

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7日目

8月2日。

前日は公民館のような場所に泊めて頂いた。

出発するときはそのまま出て行っていいよと言われたので、5時前に出発した。

実際、朝に会える手段も無かったし、それを見越して前日のうちに挨拶は済ませてあったので出ることにした。

この日は三国峠を越えて新潟に入ることが目標である。

しかも今夜の宿泊場所は苗場プリンスホテルの予定。

交通量の少ない朝のうちに峠を攻略し、優雅にホテルでくつろぎたい。

 

早朝に出発すると、気温が低いため快適に進むことができる。

しかも周りが山に囲まれているため、平地よりも涼しい。

出発して1時間ほどで峠の手前にある公園に到着し、休憩していた。

休憩中、酷く腹が痛んだ。

どうやら前日に酒を飲みすぎたのが影響したらしい。

二日酔いにはならなかったが、このような形で影響することまでは計算していなかった。

だが本当の計算外はトイレに入った後に発覚した。

パンツを下した瞬間、そこには通常の3倍ほどの大きさに肥大化した自分の陰部があった。

どうやら朝に山で用を足した際、ヤブカに刺されまくったらしい。

その腫れ方は凄まじく、ボンレスハムのように段々になっていて、先端のほうにはピンポン玉がぶら下がっていた。

冗談抜きで、人生が詰んだと思った。

一体、何科を受診すればよいのかもわからない。

とりあえず写真に撮って友人に送ってみたところ、「ジャバ・ザ・ハットみたいだ」との評を頂いた(実際はジャバ・ザ・ハットのほうが全然マイルドなフォルムである)。

ちなみに私は「奇形のちぎりパン」と形容していた。

変わり果てた自分の陰部に対しショックを抑えきれなかった。

しかし、えげつない色の尿が出るものの特に痛みや痒みは無かったので、そのまま放置することにした。

というより、薬も無ければ近くに病院も無いので放置せざるを得ない。

問題だったのは腹痛のほうで、その後2時間はベンチに仰向けになって寝ていた。

ようやく動き始めたころには太陽も活発に仕事をするようになっていて、一体何のための早起きだったのだろうと頭を抱えてしまった。

 

 

ところが、その後はわりとスムーズに進むことができた。

10時には三国峠に到着。

そこからは黙々と歩き続けた。

普通の道路と違い、峠道は休憩できる場所が少ない。

しかし逆に言えば、過剰に休憩してしまうことを防げるので着実に進むことができる。

今回の旅では常にタイマーで時間を計り、おおよそ1時間に一回は長めの休憩を取るようにしていた。

ただし肩や腰に限界を感じた場合やマメを処理する場合は小休止を取り、支障をきたさないようにする。

7日目になるとマメを潰すのにも慣れてきて、時間のロスも減ってきた。

三国の峠名物、55個のカーブを登り切って三国トンネル手前で休憩する。

このトンネルを抜ければ新潟県である。

さらに、このトンネルさえ抜けてしまえばもうほとんど危険な道はない。

念のためバックライトを装備し、トンネルに突入した。

 

 

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トンネル内は非常に狭く、トラックと車がそのまますれ違うことができない。

そのため、トラックは対向車が来ると徐行して通る。

それほど狭いトンネルであるため、無論歩道などない。

車通りが少なかったので私は敢行してしまったが、それでも運転手側からすれば迷惑(というよりあのトンネルを人が歩いているのは恐怖)なのは間違いないので、可能な限りは避けたほうがよいだろう。

なるべく早歩きで進むことに努めた結果、幸運にも無事トンネルを抜けることができた。

実際に歩いてから気付いたのだが、「三国路自然歩道」等の道も存在するらしいので徒歩の場合はそちらを利用したほうがいいかもしれない(実際に通れるかは不明)。

 

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トンネルを抜けると、新潟県湯沢町に入った。

出発から一週間、ようやく新潟県である。

とはいえ、目的地は新潟市なのでまだ全行程の半分くらいしか達成していない。

峠を下り、苗場のリゾートホテル街に到着。

プリンスホテルに素泊まりしようと思っていたが、実際に目の前にしてみると

「いや、やっぱり野宿して、浮いた分のお金で新潟で豪遊したほうがいいのでは…?」

という考えが巡ってきて、結局宿泊は見送ってしまった。

この時点で、完全に野宿への抵抗が無くなっていたらしい。

その後は3時間ほど進み、公園で野宿をした。

水道付きなので頭からジャバジャバ洗った。

確かにそんな奴にはホテルなんて勿体ないのかもしれないと思った次第である。

 

 

本日の成果

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新潟歩き旅Day6

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6日目

8月1日。

川沿いで起床。

そのまま沐浴をする。

優雅な目覚めである。

朝食をとり、6時前には出発した。

 

 

この日の目標は三国峠の手前まで行くことである。

峠で日没を迎えると危険なので、まずは手前で一泊する。

翌日、明るいうちに攻略してしまおうという考えである。

5日目同様、狭い道を黙々と歩く。

少し栄えた道の途中、HUMMERの自転車に乗った5歳くらいの少年から道を譲られ、「気を付けてください」と激励を受ける。

育ちの良さに感服しながら着々と進んでいく。

他にも、除草作業をしていた三人組の作業員の方と話した。

しかも一人は昨日、私を17号で見たらしい。

結構見られているのだなと驚いたが、他に歩行者がいないのだから目立つのも当然か。

「これ持って行きな」

と別れ際にカリカリ梅をくれた。

こういうのも本当にありがたい。

 

 

昼過ぎになり、やや広い道に出た。

今度は車に乗ったおじさんから声をかけられ、凍ったお茶を頂く。

なんだか、物貰いの旅みたいになってきてるな…

とはいえ、実際ありがたいのですべて頂く。

お茶を目頭に当てて涼を取りながら、木陰で休憩した。

 

 

休憩中に地図を見ると、遅いペースながらも着々と進んでいたので、野宿予定地にかなり余裕をもって着きそうだと気付く。

さらに予定地までの道は過去に自転車旅をした際によく覚えている道であり、特に面白みがなさそうなのも知っていた。

そこで、遠回りにはなるが一旦17号を外れ、迂回してみることにした。

急いだところでどうせこの日は峠まで行かないので、寄り道である。

初めは特に何もなかったが、1時間ほど歩くと町に出た。

お神輿や山車が道にあったので、ちょうどお祭りらしい。

見ていきたい気持ちもあったが、日が沈んでしまうと大変なので写真だけ撮って進むことにした。

 

 

町を歩いていると、犬を散歩しているおじさんに話しかけられた。

「お兄さん、新潟こっちの道じゃないよ」

「あ、寄り道しようと思ってこっち来ちゃいました」

いつも通り、旅をしている旨を簡単に告げながら少し一緒に歩いていた。

「…ところで今日ちょうどお祭りあるんだけどさ」

「はい」

「神輿担いでいかない?」

「やります」

まさかの展開である。

知らない土地でいきなりお祭りに参加する。

というかお神輿ってかなりキツイのでは…

快諾した後になって色々と不安も出てきたが、こんな機会を逃したくはない。

身体がブッ壊れて旅が続行できなくなったとしても、それはそれで名誉ある故障なのでいいかと思った。

 

 

お祭りが始まる少し前、焼きそばと飲み物を貰いに行った。

関係者だけでなく、お祭りに来た人に対して振舞われるものらしい。

ビールやサワーもあったが、担ぐ前に酔うと死にかねないのでウーロン茶にした。

食べ終わって少しすると、お祭りが開始した。

まず清めの酒を飲み、それからお神輿を担ぐ。

ハッキリ言って、滅茶苦茶に重い。

私は先頭から二番目の位置だったが、目の前のおじさんは既に泣きそうな表情をしている。

この状態で1時間半ほど町内を周るらしい。

そして、笛の合図とともにスタートした。

お神輿を担ぐのは中学生ぶりだが、やはり身長が大きくなると負担も大きくなる。

先頭のおじさんは大柄だったので、非常につらそうである。

案の定、15分ほどで先頭が離脱した。

必然的に、私が先頭になる。

先頭に行くと、さらに負担が大きくなった。

肩が痛すぎてつぶれそうになる。

それでも試行錯誤して痛くない部位を見つけ、なんとか休憩ポイントまで凌いだ。

休憩ポイントに着くと、ビールとアイスが振舞われた。

声出しで喉が乾ききっていたので、ビールを2杯貰う。

この担ぎと休憩のサイクルがあと2回繰り返され、最後は地元民だけで神社に返された。

全員汗だくで疲れ切っていたが、皆充実感に満ちた表情をしていた。

 

 

その後は公民館で打ち上げ的なことをした。

まさか旅の最中に寿司と日本酒が堪能できるとは思ってもいなかったので、実行委員長たちにお礼を言いに行った。

最初は普通に飲んで食事をしていたのだが、途中でおじさん(昼間とは別の人)から指名を頂いたので席を移った。

話を聞かせてほしいと言われたので、これまでの道中の話や過去の旅などについて語った。

おじさんはコップが空くとすぐに酒を注いでくれる。

私も祭りの後で気分も高まっていたので、酒が物凄い勢いで進んでしまった。

正直に言って、その後は気分が高まりすぎてどんな会話をしたのかあまり覚えていない。

しかしお開きになるまでずっと話していたのは確かであり、最後はツーショットを撮ってお互いの住所と連絡先を交換した。

そして委員長に挨拶をし、おじさんたちと熱い握手や抱擁を交わしたりして終了。

とにかく楽しい一日であった。

 

 

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新潟歩き旅Day5

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5日目

7月31日。

昨日泊めて頂いた家で起床。

朝食を頂き、お父さんとお母さんに感謝を述べて出発した。

時刻は午前8時頃。

この日は渋川市を攻略していく予定だ。

早速、農作業をしていたおじさんに声をかけられ、固い握手を交わす。

良いスタートである。

 

 

渋川から新潟県に入るまでは、ひたすら国道17号を進んでいくことになる。

基本的に車で山を越えるための道路なので、人間が歩くことは想定されていない。

歩道は申し訳程度の幅しかないし、その歩道すらない区間もある。

ロードバイクはたまに通るが、他に歩行者は勿論いない。

ハッキリ言って、歩くのは危険である。

しかしながら、東京方面から新潟に入る道はこの17号しか存在せず、迂回するにしても長野まで行って国道18号を使うくらいしか選択肢がないため、進むことにした。

実際に行ってみて、交通量が多く危険と判断した場合はヒッチハイクで通過することも考えた。

別にこの徒歩旅は自分の趣味でやっているだけなので、そこまで危険を冒してやる必要はないためである。

それに、事故で中止するようなことがあってはこれまで応援してくれた人たちに合わせる顔がない。

旅を開始して初めて緊張感が出てきた。

 

 

平日であったせいか、交通量は思っていたよりも激しくなかった。

これなら歩きだけでも行けると判断し、ヒッチハイク案は見送った。

しかし、端的に言って峠道は疲れる。

勾配が激しいし、休める場所もあまりない。

途中唯一あったコンビニで休憩していたら、色々な人と話せたのは面白かった。

買い物に来ていた地元の方もいれば、朝の国道17号で私のことを見たという人もいた。

けれどもコンビニを過ぎてしまうとまた人通りが皆無になり、淡々と歩くほかない。

いちいちテンションを上下させていては余計に疲れるので良くないのだが、それでも少し寂しさは感じざるを得ないのである。

 

 

しばらくすると、また歩道が現れてきた。

しかし、時刻は18時を過ぎており、これ以上進んでも危ないので脇にある川まで下りて寝ることにした。

一口に野宿といっても、汗を洗い流して寝れるか否かで快適度は天と地ほどの差がある。

特に夏場はベタベタするので不快感が溜まり、寝ようにも寝れなくなる。

3日目は水道があったのでマシだったが、初日は最悪であった。

その点、この日は川沿いなので最高である。

人目に付かないよう少し暗くなるのを待ち(元々人はいないが念のため)、パンツ一丁で川に入る。

ついでに服も川で洗う。

そうして新しい服に着替え、気持ちよく就寝した。

 

↓この日の成果

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